日本の裏側ともいえるノルウェーに移り住んできたのは、1994年の12月だった。ノルウェーはこれからますます暗く寒い時期になるときで、多くの人は憂鬱そうな顔つきをしていたと思う。とうの私ときたら新婚ほやほやで、おまけに憧れのノルウェーに来たということで、心はうきうきし、ちょうどクリスマス直前だったこともあり、国中美しいクリスマスの飾りと街のにぎわいに酔いしれていた。翌月からベルゲン大学のノルウェー語コースに通い始め、先生や各国から訪れたクラスメイト、また前夫から、ノルウェーや他の国がいろいろな意味で日本よりずっと平等なのだということを、日々の生活を通して教わってきた。
日本では味わえなかったこと
最初に驚いたのが、アルバイト先のある小学校で昼食時間になったときのことだった。ノルウェーでは職員室のほかに、教師たちが食事をしたりミーティングをする部屋が必ずあるのだが、そこではなんと校長先生と清掃員の両方が、和やかに同じ部屋で食事をしていた。 校長先生は後から部屋に入ってきたのだが、先に座っていた清掃員は、すでにほかの教師たちと和やかに話をしながら、全く普通に食事をしていた。校長先生だけでなく誰一人、おかしいと思っていないようだった。日本のような階級社会では考えられないだろう。階級的な差別をほとんど感じないのは小学校だけではない。高等教育の場所でも同じである。例えばわたしが非常勤講師として勤務しているベルゲン大学の外国語学科には様々な人が同じ部屋で一緒に昼食をとる。教授であろうとわたしのようないわゆる下っ端であろうと、また新任事務職であろうと同じである。
しばらくすると、さらに政界を始めいろいろなところで平等という意識が浸透していることがよくわかってきた。一定期間ノルウェーに滞在している外国人は地方選挙権があるし、ほかの宗教に属している人の権利(例えば食べ物に関して)を尊重したり、さらに驚いたことは、子どもの権利をも尊重して、意見や希望を聞いたりすることであった。そんな中、私の中に少しずつジェンダースタディーという意識が芽生え、特に女性に関することに関心を持つようになったのである。
誰でも分かっているように、女性というのは全人口の半分である。他のマイノリティーの権利ももちろんだが、「性の深層(1979年)」の著者アリス・シュヴァルツアーが「人種よりも階級よりも人間の生き方を決定しているのは、まず性である。」と言っているように、 女性問題は、ほとんどの場合まず人間が最初に直面する問題だと言えるだろう。例えば服装に関することでは遠い昔、まだ同じような服装をどこでもしていただろうが、狩猟をする男性が動きやすいズボンのようなものをはくようになり、ほとんどの場合肉体的に弱い女性は、そのまま非活動的な服装を強いられるようになってしまった。世界の民族衣装を見てみるがいい。スコットランドの例もあるがほとんどの場合、男性はズボンで女性はスカートのような非活動的な衣装が主流ではないだろうか。日本の着物も例外ではなく、武士階級では男性は袴を着用し、女性は明治になるまで活動的な服装は普段ではできなかった。現代のノルウェー人はほとんど自由意志でスカートをはくだろうが、国によったり文化や習慣により、女性が強制的に非活動的で健康にも問題のありそうな服装をさせられている所がまだある。日本の学校制服もそうではないだろうか。
平等についての取り組み
ノルウェーの平等の話に戻るが、ノルウェー政府、平等インクルージョン省によると、次のようなことが定められている。
『全てノルウェーに住む者はだれでも同じ権利があり、性別や民族的な違いや性的指向に関わらず、社会参加が保証されている。』
ノルウェー政府、平等インクルージョン省
つまり、平等というのは性別に限らず、移民や宗教、また性的指向においても平等でなければならないということである。また同じ権利にとどまらず、社会参加における平等も含まれている。例えばある仕事に応募した際に、性別や外国籍また性的指向による差別を受けずに、平等に審査してもらえる権利があるということである。
1978年6月9日に議決された平等法は、少しずつ改正され、2013年にはさらに明確になった平等法が議決された。性別に限らず、異民族や出身、肌の色、言葉や宗教、政治的立場それに性的指向などである。ノルウェーでは法律だけにとどまらず、学校や保育園の子どもまで、この平等ということを身近に体験しながら学べるようになっている。例えば保育園や小学校では男性を積極的に雇い、また教師の中での平等を通して、子どもたちが自然に学べるようになっている。つまり、男女また様々な違った教師が平等に行動する姿を見ながら、成長していくのだ。
現在のノルウェーでは、外で男性が乳母車を引いて散歩している姿に出くわすことも、日常的な光景だし、何よりも女性が政界を始めありとあらゆる所に進出していて、女性の政治家やリーダーは全くあたりまえである。 男女以外の平等に関して言えば、 例えばお年寄りについてである。2017年の現在こそ多くのお年寄りが外出している姿を見かけるが、22年前の1994の時は今とずいぶん違い、日本ではお年寄りが外出している姿をあまり見かけなかったが、ノルウェーでは日本のそれと比べ、かなり多いように感じた。ノルウェーは日本とほぼ同じ面積で、人口は日本の約25分の一なのにである。ノルウェーでお年寄りの外出をよく見かける理由は何だろうか。それは足の悪いお年寄りや車いす使用の人が動きやすいように、スロープがあちこちにもうけられていることも理由の一つだろう。また外国人も日本から比べれば非常に多く、外国人の友人を作るのは全く難しくない。 ノルウェーは平等という意味で、ずいぶん進んでいると言える。
またそのほかにも、ノルウェー社会にごく当たり前のこととして行われていることがまだまだ数多くある。例えば前述した子どもの権利や若年層に関することである。もし両親が離婚してその子どもが一方の親の家に住む場合、7歳になるとそれに関して自分の意見を述べることができ、また少し大きくなると、どちらに住むか自己決定できるのである。また子どもに関わらずまだ年若い青年が、立派な大人の一員として対等に意見を述べることができるのだ。例えば2015年12月に開催されたベルゲン大学の平等に関する学会では、大学教授陣と並んで学生の代表が、少しも臆することなく堂々と意見を述べていた。
これからの課題
とは言え、まだまだ問題は残っている。とくに経済界ではまだまだ女性のリーダーは少なく、また地方では市町村長がほとんど男性ということである。年収の違いもよく指摘され、男性が100%とすると女性の年収は85%だということだが、これは伝統的に給料の低い職種(保育士や看護士、教師など)に女性が集まっているという理由らしく、男性をもっとこれらの職種に促し、逆にエンジニアやリーダー職に女性を起用するという提案がされているが、どうやら簡単ではないようだ。強制するわけにもいかないが、果たして50%ずつという完全な平等が本当にいいのだろうか 。女性すべてが同じように伝統的に『女性的な』ことを好む訳ではないと思うが、有無を言わさず半分ずつ雇用することに抵抗を覚える女性もいるだろうし、男性も同じだろう。 それとも男女の違いを考慮した上での平等がいいのだろうか。どうも一筋縄ではいかないようだ。
このブログで紹介するのは、様々な分野で活躍している、または活躍していたノルウェー女性たちである。ほとんどの人はノルウェー国籍を持っている(いた)が、そうでない人もいる。外国人にはなかなか選挙権をあたえたがらない日本と違い、ノルウェーでは外国人でもいろいろな意味で活躍の場をあたえられているということは、日本にとってもいいお手本になるだろう。特にこれからの世界は様々な意味での平等な社会を築いていくことが必要とされるに違いない。男女平等の問題に限らず、例えばアマル・アデンのように、移民かつ性的少数者もほとんどの場合社会に受け入れられていることも、見逃せない。
参考資料
Danielsen, Hilde; Larsen, Eirinn & Owesen, Ingebørg W. (2013), Norsk likestillingshistorie 1814-2013, Oslo, Fagbokforlaget
Regjeringen.no, Likestilling og inkludering, https://www.regjeringen.no/no/tema/likestilling-og-inkludering/id922/
Schuwarzer, Alice (日本語訳1979), Der kleine Unterschied und seine grossen Folgen : Frauen über sich, Beginn einer Befreiung(寺崎あきこ訳、性の深層、東京、亜紀書房)
Skilsmisse.net, En uavhengig og upartisk informasjonsside, Barneloven http://www.skilsmisse.net/barneloven.html
Strand, Vibeke Blaker (2014) Likestillingsloven 2013 og forrenklingsjuss – en trussel mot individvernet? Kvinnerettslig skriftserie nr. 96/2014, Avdeling for kvinnerett, barnerett, likestillings- og diskrimineringsrett (KVIBALD), Oslo, Universitetet i Oslo
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