父親に引かれて歩く花嫁

父親と花嫁

Ingar Storfjell (foto)

教会での結婚式は、花婿が証人とともに前方の祭壇の横で待機している間、花嫁は自分の父親、それが叶わないときは男性の親近者にリードしてもらい、賛美歌に合わせて花婿の方に向かって入場することが、通常となっている。20年以上も前、前夫と結婚した私も全く同じように、彼が前方で待ち、私は父の腕に引かれて前方に進んで行ったものだ。

これがどうして問題になるのか?

これは昔花嫁である女性は、いわゆる『嫁入り』をする相手方の家への贈り物とされて来たという謂れがあるからで、贈り物である花嫁は美しく着飾り、処女を表す白を身につけ、今まで持ち主だった父親から次の持ち主の息子へ手渡されるという、紛れもなく女性軽視を象徴しているからである。

ノルウェーでの教会における結婚式は、未だにこの形式が主流だそうだ。皇太子が現在の皇太子妃(注1)、メッテ・マリット妃と結婚した際にも、メッテ・マリット妃は20年前の私と全く同じように、父親の腕に引かれながら、皇太子の待つ前方まで行進していった。ところがお隣のスウェーデンでは少し事情が違うようである。プリンセス(注2)であるビクトリア妃もノルウェーの王族に習って、父親であるグスタフ国王の腕をとって行進したのだが、スウェーデン国教会のアンダース・バイリード大主教は、「スウェーデンの伝統にそぐわないし、不平等である」と、反対だった。ノルウェーと違いスウェーデンでは、100年以上も前の結婚に関する法律において、パートナー同士の自由意志を尊重するということになっており、二人が一緒に初めから祭壇まで行進するそうだ。そのために国教会では、プリンセスがスウェーデンの平等の伝統を守るよう、働きかけたという。それでもプリンセスは、自分の意思において、父親と一緒に歩くことをあくまでも強調した。そのため、大主教と教会は根負けし、プリンセスの意向を尊重することになったのである。

一方隣国であるにもかかわらずノルウェーではそうではなかった。昔からの農家(注3)では、娘が結婚する際には両親に別れを告げて、夫の種属する教会から迎えを受けるのが慣習であったという。教会の入り口から前方の祭壇までの行進は、新婦または新郎新婦の両方かあるいは司会者がリードしていたが、20世紀の初めごろに街中に住んでいたブルジョワジー、つまり中産階級の間で、父親が結婚する娘の腕を引いて祭壇で待つ夫となる男性の元まで導くという慣習ができてしまった。この慣習がいつ優勢になったのかは定かではないが、1960年ごろかららしい。そして米国の映画やテレビがこれをさらに定着させてしまったという。

(注1)皇太子妃という言葉は女性軽視的である。というのも、皇太子の妻という意味で、『令夫人』と同じ意味である。つまり男性側は重要だが伴侶である女性は付け足しといっているようである。

(注2)あえてプリンセスと外来語を使っているのは、これに当てはまる日本語がないからである。ビクトリア妃は『女性の』皇太子であり、現在のグスタフスウェーデン国王が死去または退位の後、王位を継承することが決められている。また、『女王』という言葉も疑問である。

(注3)日本では農家というと貧しいというイメージがあるかもしれないが、ノルウェーでは上流階級が広大な農場を所有していた。フレデリッケ・マリア・クバンカッティー・アンケー・モッラーも広大な土地の農場主であった。

参考資料

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